腎不全から腎臓がんへ3
そんな中、とても嬉しいことがありました。
利尻のはなちゃんが、遊びに来てくれたのです。
ゾフィは、本当にワンコ好き。しかも、はなちゃんは大好き!
一時は、毎夏、涼しい利尻に行っていました。
利尻の自然の中を、一緒に走り回りました。
はなちゃんも、時々、札幌に来てくれていました。
ゾフィはすごくすごくうれしそうでした。

お散歩には出られないので、外の風を感じてもらいたくて、たんぽぽを。
花は季節を感じさせてくれます。
早く、暖かくなってほしい。そうすれば、外の空気の冷たさが和らぎ、呼吸も楽になるかも。
そう思う一方で、時がたつことは、病状が進むことでありました。
たんぽぽを見つけると、「たんぽぽが咲くまで生きていてくれた」と思うと同時に、「桜までは無理かも」とも思うのです。

家族で桜が見られました。
去年は、桜の中を毎朝、お散歩していました。毎年、それは続いていくはずでした。
でも、今はどんな季節の風景も、最期であることは間違いない。
風景がいつもとは違って見えました。ゾフィと見られる風景はこれが最後なのです。
たんぽぽとゾフィ、桜とゾフィ。それは特別なことでした。

きゃらは苦しくなると自分から酸素室に入ってくれたのですが、ゾフィは嫌がります。
仕方がないので、マスクを通して酸素を送るのですが、これもお気に召さないようでした。

マスクを押し当てると顔をそむけてしまうし、離すと効果がないし。
仕方がないので、さらに高濃度になるようにホースだけにして、鼻の先に当てました。

私もおとやんも、なるべく家にいるようにしていました。
こんなに長い時間を共に過ごしたことはありません。
それでも仕事で不在にする時間はあるので、不安は尽きません。
病院で「日中、預かってもらえないか」とも聞いてみましたが、先生は、「きゃらくんもいるし、ゾフィちゃんは、神経質な性格。自宅にいるのが一番だと思う。帰ったら死んでいるということはありえる。それでも、家にいる方がいいと思いますよ」と言い、確かにそれもそうだと受け入れることにしました。
とにかく後、何日一緒にいられるか分からない。
その貴重な時間を家族で過ごそうと思いました。

5月14日。恒例のライラック写真です。
残念なことにライラック祭りの準備のため、いつものライラックに近づくことが出来ませんでした。
そろそろ一緒に外に出られるのも最期かもしれないと毎回、思いながら、それでも一緒にライラックが見られたことは、喜びでした。
この日は来ないと、どこかで覚悟もしていたので。

ゾフィの病状は徐々に進んでいきました。
先生から、「もう好きなものを食べさせてあげてください」と言われ、インターフェロンもやめました。
腎臓が悪くて死ぬのではないということは分かっていましたが、
「肺がんで呼吸困難で死ぬわけでもありません。衰弱死します」と説明されました。
既に筋肉は無くなり、足は骨と筋だけという状態でしたが、体は丸いままです。
だから衰弱死というのはピンと来なかったのです。
ごはんを普通食に変え、食べたいおやつをあげるようになったら、食欲も出て、うれしそうでした。
大好きなおとやんの手作り砂肝ジャーキーもたくさん食べました。
お肉やらお刺身やら、たんぱく質ばかり、もりもり食べました。

しかし5月末になると、次第に食欲が落ちてきました。
6月に入り、どうも右目が飛び出しているように見えます。
目を閉じず、ずっと私を目で追っています。
なんだか切なそうなので、病院で見てもらうと・・・
緑内障。眼圧が高くなっていて、既に見えていないとのことでした。

お薬をもらい、どうにか苦しそうな様子は無くなり、目も閉じるようになりました。
しかし、今度は左目に大量の目ヤニが出て、真っ白に。
これでは両目が見えないだろうと、また病院で薬をもらい、結局、こんなに増えてしまいました。
それが6月4日のことでした。
「衰弱死」と言われていたので、もう少しもつ、まだ立って歩けている、痩せてはいない。
そんな思いもむなしく、
6月9日夜12:30頃、立ってうろうろし始めました。
立つ時には、お水を飲むか、おしっこです。
ふらふらしていて危ないので、抱えて水やトイレに連れていきますが、違うようです。
ひたすらうろうろします。
既に寝ていた、おとやんを、「様子がおかしい」と起こしました。
私たちに出来ることは、何もないのです。
まずは酸素室に入れようと、中に入れましたが、
「出たい。出して」
「少し我慢して入ってて」
酸素室の中でも落ち着かず、立ち上がります。
酸素室の中で目をむいたまま倒れたのを、おとやんが起こすと、一旦は立ち上がり、そして
もう一度、おとやんの腕に向かって倒れ・・・
それが最後でした。
人工呼吸も二人でしてみましたが、息を吹き返すことはありませんでした。
灯が消えるように腕の中で息をひきとるものだと思っていた私は、どうしても納得がいかず、
「帰ってきて」と何度も呼びかけましたが、これが最後のお別れになってしまいました。
ゾフィとの思い出はやまほどあります。
いろいろなところに出かけ、貴重な体験や出会いをしました。
でも不思議なことに、記憶が上書きされ、思い出すのは、最期の数日ばかりです。
元気で豊かな表情を見せてくれていたゾフィは遠いのです。
ブログやたくさんの写真、動画の存在はありがたく、それを見ては元気な頃のいつものゾフィに出会うようにしています。
今はまだ、全てが夢のようです。
ゾフィがいない今が夢のようでもあり、ゾフィがいた日々が夢のようでもあります。
現実として、どう受け止めていいのか分からないのでしょう。
だれもが通る道だし、これだけ介護が出来たのは幸せなことだとも思っています。
そしてなにより、ゾフィのような子はどこにもいない。
こんな子と巡り合えた幸せを、かみしめています。
だれよりも愛していたし、今も愛しています。
大好きで大好きで大好きです。
闘病を書くことはつらいけれど、私にとっては喪の作業でもありました。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
そしてゾフィを愛してくださって、ありがとうございました。
利尻のはなちゃんが、遊びに来てくれたのです。
ゾフィは、本当にワンコ好き。しかも、はなちゃんは大好き!
一時は、毎夏、涼しい利尻に行っていました。
利尻の自然の中を、一緒に走り回りました。
はなちゃんも、時々、札幌に来てくれていました。
ゾフィはすごくすごくうれしそうでした。

お散歩には出られないので、外の風を感じてもらいたくて、たんぽぽを。
花は季節を感じさせてくれます。
早く、暖かくなってほしい。そうすれば、外の空気の冷たさが和らぎ、呼吸も楽になるかも。
そう思う一方で、時がたつことは、病状が進むことでありました。
たんぽぽを見つけると、「たんぽぽが咲くまで生きていてくれた」と思うと同時に、「桜までは無理かも」とも思うのです。

家族で桜が見られました。
去年は、桜の中を毎朝、お散歩していました。毎年、それは続いていくはずでした。
でも、今はどんな季節の風景も、最期であることは間違いない。
風景がいつもとは違って見えました。ゾフィと見られる風景はこれが最後なのです。
たんぽぽとゾフィ、桜とゾフィ。それは特別なことでした。

きゃらは苦しくなると自分から酸素室に入ってくれたのですが、ゾフィは嫌がります。
仕方がないので、マスクを通して酸素を送るのですが、これもお気に召さないようでした。

マスクを押し当てると顔をそむけてしまうし、離すと効果がないし。
仕方がないので、さらに高濃度になるようにホースだけにして、鼻の先に当てました。

私もおとやんも、なるべく家にいるようにしていました。
こんなに長い時間を共に過ごしたことはありません。
それでも仕事で不在にする時間はあるので、不安は尽きません。
病院で「日中、預かってもらえないか」とも聞いてみましたが、先生は、「きゃらくんもいるし、ゾフィちゃんは、神経質な性格。自宅にいるのが一番だと思う。帰ったら死んでいるということはありえる。それでも、家にいる方がいいと思いますよ」と言い、確かにそれもそうだと受け入れることにしました。
とにかく後、何日一緒にいられるか分からない。
その貴重な時間を家族で過ごそうと思いました。

5月14日。恒例のライラック写真です。
残念なことにライラック祭りの準備のため、いつものライラックに近づくことが出来ませんでした。
そろそろ一緒に外に出られるのも最期かもしれないと毎回、思いながら、それでも一緒にライラックが見られたことは、喜びでした。
この日は来ないと、どこかで覚悟もしていたので。

ゾフィの病状は徐々に進んでいきました。
先生から、「もう好きなものを食べさせてあげてください」と言われ、インターフェロンもやめました。
腎臓が悪くて死ぬのではないということは分かっていましたが、
「肺がんで呼吸困難で死ぬわけでもありません。衰弱死します」と説明されました。
既に筋肉は無くなり、足は骨と筋だけという状態でしたが、体は丸いままです。
だから衰弱死というのはピンと来なかったのです。
ごはんを普通食に変え、食べたいおやつをあげるようになったら、食欲も出て、うれしそうでした。
大好きなおとやんの手作り砂肝ジャーキーもたくさん食べました。
お肉やらお刺身やら、たんぱく質ばかり、もりもり食べました。

しかし5月末になると、次第に食欲が落ちてきました。
6月に入り、どうも右目が飛び出しているように見えます。
目を閉じず、ずっと私を目で追っています。
なんだか切なそうなので、病院で見てもらうと・・・
緑内障。眼圧が高くなっていて、既に見えていないとのことでした。

お薬をもらい、どうにか苦しそうな様子は無くなり、目も閉じるようになりました。
しかし、今度は左目に大量の目ヤニが出て、真っ白に。
これでは両目が見えないだろうと、また病院で薬をもらい、結局、こんなに増えてしまいました。
それが6月4日のことでした。
「衰弱死」と言われていたので、もう少しもつ、まだ立って歩けている、痩せてはいない。
そんな思いもむなしく、
6月9日夜12:30頃、立ってうろうろし始めました。
立つ時には、お水を飲むか、おしっこです。
ふらふらしていて危ないので、抱えて水やトイレに連れていきますが、違うようです。
ひたすらうろうろします。
既に寝ていた、おとやんを、「様子がおかしい」と起こしました。
私たちに出来ることは、何もないのです。
まずは酸素室に入れようと、中に入れましたが、
「出たい。出して」
「少し我慢して入ってて」
酸素室の中でも落ち着かず、立ち上がります。
酸素室の中で目をむいたまま倒れたのを、おとやんが起こすと、一旦は立ち上がり、そして
もう一度、おとやんの腕に向かって倒れ・・・
それが最後でした。
人工呼吸も二人でしてみましたが、息を吹き返すことはありませんでした。
灯が消えるように腕の中で息をひきとるものだと思っていた私は、どうしても納得がいかず、
「帰ってきて」と何度も呼びかけましたが、これが最後のお別れになってしまいました。
ゾフィとの思い出はやまほどあります。
いろいろなところに出かけ、貴重な体験や出会いをしました。
でも不思議なことに、記憶が上書きされ、思い出すのは、最期の数日ばかりです。
元気で豊かな表情を見せてくれていたゾフィは遠いのです。
ブログやたくさんの写真、動画の存在はありがたく、それを見ては元気な頃のいつものゾフィに出会うようにしています。
今はまだ、全てが夢のようです。
ゾフィがいない今が夢のようでもあり、ゾフィがいた日々が夢のようでもあります。
現実として、どう受け止めていいのか分からないのでしょう。
だれもが通る道だし、これだけ介護が出来たのは幸せなことだとも思っています。
そしてなにより、ゾフィのような子はどこにもいない。
こんな子と巡り合えた幸せを、かみしめています。
だれよりも愛していたし、今も愛しています。
大好きで大好きで大好きです。
闘病を書くことはつらいけれど、私にとっては喪の作業でもありました。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
そしてゾフィを愛してくださって、ありがとうございました。
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腎不全から腎臓がんへ2
腎不全になったゾフィと、がんばっていこうと、ようやく気持ちも落ち着いてきました。
血液検査も毎週、していましたが、ほぼ正常値になってきました。
ところが3月7日。私が出張から帰ると、出迎えてくれたゾフィが左後ろ足をあげています。
明らかに、痛いようです。
落ち着かず、足が痛そうなのに、うろうろします。既に夜中の0時でした。
2時。キャンと鳴き、とうとう足をつくことが出来なくなり、
夜間救急に走りました。
腎不全で治療中であること、3歳の時にヘルニアがあったこと等を伝えたところ、
いろいろ調べてくれ、伝えてくれたこと・・・
「ヘルニアではないようです。十字じん帯ではないかと思われますが、様子を見ても大丈夫でしょう」
一安心していると、
「ただ・・・」と言いにくそうに、続けました。
「ヘルニアの既往があるということだったので、上部からのレントゲンを撮ってみました」
見せられたのは、胸部のものでした。
「肺に映る白い丸い影は全て悪性腫瘍です。転移性のものなので、おそらく腎臓からの転移です」
「この状態だと、早ければ数週間。長くても半年ということはないかと」

不思議と涙は出ませんでした。
腎不全と伝えられた時は、病院で大泣きしたのですが。
今回は、むしろ覚悟のようなものがありました。
肺の状態はあまりにもひどく、既に手遅れであることを受け入れるしかありませんでした。
おとやんと二人、無言のままに帰宅しました。
日を変えて主治医と会いました。既に救急からは添書が言っていました。
「早いな・・・」と先生がつぶやきました。
あっという間に腎数値が悪くなり、転移。
この肺の状態では、普通に呼吸出来ていることが不思議なぐらいだとのこと。

どこに酸素が入っていっているのか分からないほど、肺が癌でいっぱいなのにも関わらず、
ゾフィは普通に呼吸をし、たまに外を歩くと、息切れもせずに歩きました。
私たちは、極力、普通の生活、平穏な日常をなるべく長く送らせてあげることを選択しました。
痛みどめは、腎不全の子には使えないということで、薬はステロイドを使いました。
緩和ケアですが、犬にはモルヒネに関するエビデンス(治療効果の証拠)はほとんどないとのこと。
そもそも腎臓がんは少ないので、治療法も確立していないのです。
主治医がインターフェロンに精通していたので、使ってみましたが、効果はなかったように思います。
この他にサプリメントとしてハナタケをネットで買い、飲ませていました。

4月1日
やっかいなことに、良性腫瘍はどんどん大きくなり、とうとう首のつけねに二つあった腫瘍が破れてしまいました。
手術で取るしかありませんが、麻酔が使えません。
局所麻酔でピンポン玉大の二つの腫瘍を除去しました。9針縫う手術でした。
相当な痛みにも、手術中、微動だにせずに、ゾフィは耐え、先生もスタッフのお姉さんたちも、
「本当に偉い、偉すぎる」とほめてくれました。
しかも、術後はステロイドも使えず、どれほど痛かったかと思いますが、鳴くこともありませんでした。

試練は次々、襲います。
時々、足の痛みが出るのです。
4月24日、また夜中にギャンと悲鳴。
ステロイドを増量する以外、出来ることはありません。
足の負担を減らすために、下半身が浮くように座布団を積み重ね、工夫し、体を固定しました。
大量の水を飲み、おしっこを頻繁にするので、朝までこのままというわけにもいかず、
何度もトイレまで13キロのゾフィを運びました。
床掃除やら洗濯やらに追いまくられる日々でしたが、
ゾフィが気にしないように、私も明るく、元気に、こんなことはなんでもないという風にふるまっていました。
実際、ゾフィさえ元気にいてくれたら、そんなことはいくらでも続けられると思っていましたし。

この他にも外耳炎になっていたり、いろいろありました。
腎臓や肺のことばかり気にしていると、つい抜けてしまって、耳のことまで気が付かなかったのです。
次第に筋肉が無くなり、足がどんどん細くなって、ふらつくようになってきました。
左足は感覚がないようで、おしっこを直接かけてしまうこともありました。
思わず「あ~~~」と出る声を、あわてて押さえることもしばしば。
ショップで一番厚手のワイドシートでも吸いきれないほどの尿量なので、
する度に変えなくてはなりませんし、した後は、足が濡れるので、拭いてあげる必要があります。
夜中も1~2時間おきにサポートが必要でした。
本犬が一番、つらいだろうと、ゾフィが気にしないように、いつも「大丈夫、大丈夫よ。なんでもないからね」
と、なでていました。
血液検査も毎週、していましたが、ほぼ正常値になってきました。
ところが3月7日。私が出張から帰ると、出迎えてくれたゾフィが左後ろ足をあげています。
明らかに、痛いようです。
落ち着かず、足が痛そうなのに、うろうろします。既に夜中の0時でした。
2時。キャンと鳴き、とうとう足をつくことが出来なくなり、
夜間救急に走りました。
腎不全で治療中であること、3歳の時にヘルニアがあったこと等を伝えたところ、
いろいろ調べてくれ、伝えてくれたこと・・・
「ヘルニアではないようです。十字じん帯ではないかと思われますが、様子を見ても大丈夫でしょう」
一安心していると、
「ただ・・・」と言いにくそうに、続けました。
「ヘルニアの既往があるということだったので、上部からのレントゲンを撮ってみました」
見せられたのは、胸部のものでした。
「肺に映る白い丸い影は全て悪性腫瘍です。転移性のものなので、おそらく腎臓からの転移です」
「この状態だと、早ければ数週間。長くても半年ということはないかと」

不思議と涙は出ませんでした。
腎不全と伝えられた時は、病院で大泣きしたのですが。
今回は、むしろ覚悟のようなものがありました。
肺の状態はあまりにもひどく、既に手遅れであることを受け入れるしかありませんでした。
おとやんと二人、無言のままに帰宅しました。
日を変えて主治医と会いました。既に救急からは添書が言っていました。
「早いな・・・」と先生がつぶやきました。
あっという間に腎数値が悪くなり、転移。
この肺の状態では、普通に呼吸出来ていることが不思議なぐらいだとのこと。

どこに酸素が入っていっているのか分からないほど、肺が癌でいっぱいなのにも関わらず、
ゾフィは普通に呼吸をし、たまに外を歩くと、息切れもせずに歩きました。
私たちは、極力、普通の生活、平穏な日常をなるべく長く送らせてあげることを選択しました。
痛みどめは、腎不全の子には使えないということで、薬はステロイドを使いました。
緩和ケアですが、犬にはモルヒネに関するエビデンス(治療効果の証拠)はほとんどないとのこと。
そもそも腎臓がんは少ないので、治療法も確立していないのです。
主治医がインターフェロンに精通していたので、使ってみましたが、効果はなかったように思います。
この他にサプリメントとしてハナタケをネットで買い、飲ませていました。

4月1日
やっかいなことに、良性腫瘍はどんどん大きくなり、とうとう首のつけねに二つあった腫瘍が破れてしまいました。
手術で取るしかありませんが、麻酔が使えません。
局所麻酔でピンポン玉大の二つの腫瘍を除去しました。9針縫う手術でした。
相当な痛みにも、手術中、微動だにせずに、ゾフィは耐え、先生もスタッフのお姉さんたちも、
「本当に偉い、偉すぎる」とほめてくれました。
しかも、術後はステロイドも使えず、どれほど痛かったかと思いますが、鳴くこともありませんでした。

試練は次々、襲います。
時々、足の痛みが出るのです。
4月24日、また夜中にギャンと悲鳴。
ステロイドを増量する以外、出来ることはありません。
足の負担を減らすために、下半身が浮くように座布団を積み重ね、工夫し、体を固定しました。
大量の水を飲み、おしっこを頻繁にするので、朝までこのままというわけにもいかず、
何度もトイレまで13キロのゾフィを運びました。
床掃除やら洗濯やらに追いまくられる日々でしたが、
ゾフィが気にしないように、私も明るく、元気に、こんなことはなんでもないという風にふるまっていました。
実際、ゾフィさえ元気にいてくれたら、そんなことはいくらでも続けられると思っていましたし。

この他にも外耳炎になっていたり、いろいろありました。
腎臓や肺のことばかり気にしていると、つい抜けてしまって、耳のことまで気が付かなかったのです。
次第に筋肉が無くなり、足がどんどん細くなって、ふらつくようになってきました。
左足は感覚がないようで、おしっこを直接かけてしまうこともありました。
思わず「あ~~~」と出る声を、あわてて押さえることもしばしば。
ショップで一番厚手のワイドシートでも吸いきれないほどの尿量なので、
する度に変えなくてはなりませんし、した後は、足が濡れるので、拭いてあげる必要があります。
夜中も1~2時間おきにサポートが必要でした。
本犬が一番、つらいだろうと、ゾフィが気にしないように、いつも「大丈夫、大丈夫よ。なんでもないからね」
と、なでていました。
腎不全から腎臓がんへ1
結果的にゾフィは腎臓がんでした。
腎臓は二つあります。
だから早期発見して、癌に罹患した方を摘出すれば、その後、長生きする子もいます。
では、どの時点で気づいてやれたのか・・・
私たちには、今もって分からないのです。
犬の腎臓がんは、がんに罹患した犬の中の2%だそうです。
資料も少なく、後で調べてみても、よく分かりませんでした。
ここに書くことで、他の子の参考になればと、出来るかぎり書いておくことにしました。
思い返せば、最初の異変は太り始めたことかもしれません。
スリムだったゾフィの体幹がぽっちゃりして、ウェストが無くなりました。
高齢になって新陳代謝が落ちたせいかと思い、食事を減らしたり、ダイエットフードにしたりしましたが、
効果なく、こんな体型になってしまいました。

恐らく、腎臓の働きが落ちてむくんでいたのでしょう。
しかし、この時点では、尿検査も血液検査も異常はありませんでした。
2015年夏ぐらいから、目が赤くなることが増えました。
だんだんひどくなり、結膜炎から角膜潰瘍にまでなり、眼科を紹介され、ようやく治ったのは2016年1月でした。

2015年11月2日、血尿。
もともと、ゾフィは時々、血尿がありました。
原因不明でしたが、いつもおとやんが出張の時だったので、心因性(ストレス性)と考えていました。
ですから、この時も、「またか。でも、おとやん、出張していないし、どうして?」
と思ったぐらいで、重要視していませんでした。
しかし、ここから1週間、断続的に血尿が続き、しかも痛がって呼吸が荒くなっていました。
「どこかおかしい」「いつもとは違うのでは」
でも血液検査、尿検査、エコー検査、全て正常。原因が分からない。
そこで、「目が痛いことからくるストレス」「前立腺がかなり肥大しているせいかも」
ということで、消去法的に、目の治療と去勢を行いました。
前述したように目は治癒し、血尿も11月末には完全に無くなりました。

2016年1月
年末より、きゃらの体調がかなり悪く、恒例にしていた初詣も行けませんでした。
元気だったゾフィに仮装させ、二人で初詣に行きました。

なんとか10歳の誕生日をそろって迎えさせたい、という悲痛な思いは、実はきゃらに向けられたものでした。
それぐらい、この時期はきゃらが危機的でした。
家にWEBカメラを設置し、仕事に行っている間、おとやんと二人で、しょっちゅう見ていました。

家には酸素室をレンタルし、幸い、きゃらは、酸素室が好きで、自分から入り、この中で寝てくれていました。
まさか、その後、この酸素室がゾフィ用になるとは、思いにもよらなかったのです。

1月中旬、ゾフィの毛が大量に抜けました。
以前、膿皮症になった時に同じようだったので、皮膚病の前兆かなと思っていました。
1月下旬 ゾフィの体に大きなニキビのようなものが出来始めました。
診断は皮膚線種。良性の腫瘍で、放っておいても差し支えないとのこと。
ネットで調べると、ゆっくり大きくなるらしいのですが、ゾフィは体中に出来た腫瘍が、あっという間にどんどん大きくなりました。
2月2日、ゾフィ10歳。
2月8日、きゃら10歳。

この日をそろって迎えられたことは、本当にうれしかったです。
この頃、ゾフィは食欲も旺盛で、もりもりケーキを食べてくれました。

2月15日
ゾフィは、だれも教えたことが無いのに、トイレットトレーニングが完璧でした。
今まで、(わざとの時は別として)トイレ以外のところですることなどなかったのです。
それが、この日、朝起きると、じゅうたんの上に数か所、おしっこをしていました。
しかも、このおしっこ、色も臭いもない。水をこぼしたようなものでした。
ただただ驚いていると、多量に水も飲みます。
これはただごとではないと、すぐに病院へ。
血液検査の結果、腎臓の値が全て悪化していました。
しかもエコーをかけたところ、
「左の腎臓が、どこが腎臓か分からないほど、形が崩れています」
との衝撃的な告知。
「腎不全です。左は完全に機能を失なっています。右も半分以下しか働いていません」
と言われました。
血液検査で異常が出た時には、既に3/4が失われているそうです。
(これって、早期発見は無理ということなんでしょうか)
納得できず、もう1軒、行ってみましたが、結果は同じでした。
治療は、腎臓サポート食と毎日の点滴。
薬は活性炭と心臓病の薬(血行をよくします)。
腎臓は、一旦、機能しなくなると回復はしないので、これ以上、負担をかけないようにするしか出来ません。
腎臓は体の老廃物をろ過します。これが出来なくなるので、活性炭に老廃物を吸わせます。
そして、通常だったら1回のおしっこで10流れる老廃物が1しか流れないので、10倍のおしっこをさせなくてはならないことになります。
これを飲料で行うのは大変なので、点滴をするのです。
ゾフィは本当にいいこで、じっとしていてくれるので、おとやんが毎日、点滴をしました。
ゾフィは驚異的に我慢強く、聞き分けがいいので、病院でも何度も驚かれました。

腎臓サポート食はまずいそうで、いろいろ取り寄せてみました。
一番、食べてくれたのが、ドイツのアニモンダ社の「INTEGRA」でした。
これも食べない時には、これを水でのばし、ゲル状にして口に運びました。

そんなことをしながらも、まだまだ元気で、お散歩はやめましたが、
(尿量が多すぎて、迷惑ですし)
毎週のようにジョイフルに行き、こうやって他の子と遊ぶ時には、楽しそうでした。
ゾフィは、本当にワンコ好きです。

腎不全の子でも、腎臓サポート食をきちんと食べていれば、3年ぐらいは生きるとのこと。
実際、腎臓の検査結果は次第に正常値内になってきていました。
腎臓は二つあります。
だから早期発見して、癌に罹患した方を摘出すれば、その後、長生きする子もいます。
では、どの時点で気づいてやれたのか・・・
私たちには、今もって分からないのです。
犬の腎臓がんは、がんに罹患した犬の中の2%だそうです。
資料も少なく、後で調べてみても、よく分かりませんでした。
ここに書くことで、他の子の参考になればと、出来るかぎり書いておくことにしました。
思い返せば、最初の異変は太り始めたことかもしれません。
スリムだったゾフィの体幹がぽっちゃりして、ウェストが無くなりました。
高齢になって新陳代謝が落ちたせいかと思い、食事を減らしたり、ダイエットフードにしたりしましたが、
効果なく、こんな体型になってしまいました。

恐らく、腎臓の働きが落ちてむくんでいたのでしょう。
しかし、この時点では、尿検査も血液検査も異常はありませんでした。
2015年夏ぐらいから、目が赤くなることが増えました。
だんだんひどくなり、結膜炎から角膜潰瘍にまでなり、眼科を紹介され、ようやく治ったのは2016年1月でした。

2015年11月2日、血尿。
もともと、ゾフィは時々、血尿がありました。
原因不明でしたが、いつもおとやんが出張の時だったので、心因性(ストレス性)と考えていました。
ですから、この時も、「またか。でも、おとやん、出張していないし、どうして?」
と思ったぐらいで、重要視していませんでした。
しかし、ここから1週間、断続的に血尿が続き、しかも痛がって呼吸が荒くなっていました。
「どこかおかしい」「いつもとは違うのでは」
でも血液検査、尿検査、エコー検査、全て正常。原因が分からない。
そこで、「目が痛いことからくるストレス」「前立腺がかなり肥大しているせいかも」
ということで、消去法的に、目の治療と去勢を行いました。
前述したように目は治癒し、血尿も11月末には完全に無くなりました。

2016年1月
年末より、きゃらの体調がかなり悪く、恒例にしていた初詣も行けませんでした。
元気だったゾフィに仮装させ、二人で初詣に行きました。

なんとか10歳の誕生日をそろって迎えさせたい、という悲痛な思いは、実はきゃらに向けられたものでした。
それぐらい、この時期はきゃらが危機的でした。
家にWEBカメラを設置し、仕事に行っている間、おとやんと二人で、しょっちゅう見ていました。

家には酸素室をレンタルし、幸い、きゃらは、酸素室が好きで、自分から入り、この中で寝てくれていました。
まさか、その後、この酸素室がゾフィ用になるとは、思いにもよらなかったのです。

1月中旬、ゾフィの毛が大量に抜けました。
以前、膿皮症になった時に同じようだったので、皮膚病の前兆かなと思っていました。
1月下旬 ゾフィの体に大きなニキビのようなものが出来始めました。
診断は皮膚線種。良性の腫瘍で、放っておいても差し支えないとのこと。
ネットで調べると、ゆっくり大きくなるらしいのですが、ゾフィは体中に出来た腫瘍が、あっという間にどんどん大きくなりました。
2月2日、ゾフィ10歳。
2月8日、きゃら10歳。

この日をそろって迎えられたことは、本当にうれしかったです。
この頃、ゾフィは食欲も旺盛で、もりもりケーキを食べてくれました。

2月15日
ゾフィは、だれも教えたことが無いのに、トイレットトレーニングが完璧でした。
今まで、(わざとの時は別として)トイレ以外のところですることなどなかったのです。
それが、この日、朝起きると、じゅうたんの上に数か所、おしっこをしていました。
しかも、このおしっこ、色も臭いもない。水をこぼしたようなものでした。
ただただ驚いていると、多量に水も飲みます。
これはただごとではないと、すぐに病院へ。
血液検査の結果、腎臓の値が全て悪化していました。
しかもエコーをかけたところ、
「左の腎臓が、どこが腎臓か分からないほど、形が崩れています」
との衝撃的な告知。
「腎不全です。左は完全に機能を失なっています。右も半分以下しか働いていません」
と言われました。
血液検査で異常が出た時には、既に3/4が失われているそうです。
(これって、早期発見は無理ということなんでしょうか)
納得できず、もう1軒、行ってみましたが、結果は同じでした。
治療は、腎臓サポート食と毎日の点滴。
薬は活性炭と心臓病の薬(血行をよくします)。
腎臓は、一旦、機能しなくなると回復はしないので、これ以上、負担をかけないようにするしか出来ません。
腎臓は体の老廃物をろ過します。これが出来なくなるので、活性炭に老廃物を吸わせます。
そして、通常だったら1回のおしっこで10流れる老廃物が1しか流れないので、10倍のおしっこをさせなくてはならないことになります。
これを飲料で行うのは大変なので、点滴をするのです。
ゾフィは本当にいいこで、じっとしていてくれるので、おとやんが毎日、点滴をしました。
ゾフィは驚異的に我慢強く、聞き分けがいいので、病院でも何度も驚かれました。

腎臓サポート食はまずいそうで、いろいろ取り寄せてみました。
一番、食べてくれたのが、ドイツのアニモンダ社の「INTEGRA」でした。
これも食べない時には、これを水でのばし、ゲル状にして口に運びました。

そんなことをしながらも、まだまだ元気で、お散歩はやめましたが、
(尿量が多すぎて、迷惑ですし)
毎週のようにジョイフルに行き、こうやって他の子と遊ぶ時には、楽しそうでした。
ゾフィは、本当にワンコ好きです。

腎不全の子でも、腎臓サポート食をきちんと食べていれば、3年ぐらいは生きるとのこと。
実際、腎臓の検査結果は次第に正常値内になってきていました。
天使の里
6月11日。
出棺だよ。

ずっとつけていた迷子札を一緒に入れることにしました。
中身を変えて。

眠っているみたいだよね。
相変わらず花が似合う。
いつも、お散歩で花が咲いていると、おかやんは写真を撮った。
ゾフィはため息ついたりしながら、それでもポーズを取ってくれたっけ。
ひまわりが似合ってる。
でも、こんなポーズを作る必要はないんだよ。

石狩の「天使の里」で、ゾフィはお空に帰りました。
ここ毎日、雨ばかりでしたが、この日は晴天。
真っ青な空に、白い煙が昇っていきました。

きゃらも一緒にお別れしたね。

たくさんのお花をいただきました。
たくさんの人が、最後のお別れに、我が家を訪れてくれました。
ゾフィはたくさんのブヒや人に愛されて幸せです。

我が家は4人家族でした。
一人欠けたことに慣れる日がくるのでしょうか。
元気いっぱいで、ききわけがよく、賢くて、思いやりのある子でした。
我が家を守らなくてはならないと、いつもがんばっていました。
きっと今頃、「ぼくがいなくて、大丈夫でしゅかね」と思っているに違いありません。
ゾフィ、大丈夫じゃないから、いつでも帰ってきて、見守ってね。
出棺だよ。

ずっとつけていた迷子札を一緒に入れることにしました。
中身を変えて。

眠っているみたいだよね。
相変わらず花が似合う。
いつも、お散歩で花が咲いていると、おかやんは写真を撮った。
ゾフィはため息ついたりしながら、それでもポーズを取ってくれたっけ。
ひまわりが似合ってる。
でも、こんなポーズを作る必要はないんだよ。

石狩の「天使の里」で、ゾフィはお空に帰りました。
ここ毎日、雨ばかりでしたが、この日は晴天。
真っ青な空に、白い煙が昇っていきました。

きゃらも一緒にお別れしたね。

たくさんのお花をいただきました。
たくさんの人が、最後のお別れに、我が家を訪れてくれました。
ゾフィはたくさんのブヒや人に愛されて幸せです。

我が家は4人家族でした。
一人欠けたことに慣れる日がくるのでしょうか。
元気いっぱいで、ききわけがよく、賢くて、思いやりのある子でした。
我が家を守らなくてはならないと、いつもがんばっていました。
きっと今頃、「ぼくがいなくて、大丈夫でしゅかね」と思っているに違いありません。
ゾフィ、大丈夫じゃないから、いつでも帰ってきて、見守ってね。
ゾフィのこと・・・
みなさま
長く、ブログを放置していました。
この間、楽しいこともありましたが、老犬となった2ブヒにはつらいことも多くありました。
2015年11月。
それまで若々しく、元気いっぱいだったゾフィが血尿。
いろいろ調べるも、原因不明。
痛み止めなどで対処療法するうちに軽快。
年明けより、なんとなく散歩を嫌がるようになる。
2016年2月。突然の多飲多尿。
腎不全が判明。
3月7日。肺癌が見つかる。腎臓からの転移と思われる。
ゾフィは、雄々しく闘病を続けていましたが、
とうとう6月10日1:30、ばったりと、おとやんの腕の中に倒れ、虹の橋を渡りました。

長くつらい闘病生活で、最後は目を見開いてなかなか閉じませんでしたが、私が2時間ほど抱っこしている間におだやかになってきました。
最後まで、とてもいいこでした。
我慢強く、いろいろなことに気を使い、がんばってがんばって、力尽きました。
ゾフィは私たちにとって、自慢の子でした。
やさしく、男気があり、正義感と勇気のある子でした。
もうこんな子に巡り合えることはないでしょう。
犬の腎臓がんはとても珍しいそうで、情報が乏しく苦労しましたので、
これから、闘病について、少しずつ書いていこうかと思います。
きゃらは、幸い、何度か命の危機がありましたが、今は、投薬もなく、元気にしています。
日々の様子は、インスタグラムで綴っています。
@charasophy で検索していただけると出てきます。
長く、ブログを放置していました。
この間、楽しいこともありましたが、老犬となった2ブヒにはつらいことも多くありました。
2015年11月。
それまで若々しく、元気いっぱいだったゾフィが血尿。
いろいろ調べるも、原因不明。
痛み止めなどで対処療法するうちに軽快。
年明けより、なんとなく散歩を嫌がるようになる。
2016年2月。突然の多飲多尿。
腎不全が判明。
3月7日。肺癌が見つかる。腎臓からの転移と思われる。
ゾフィは、雄々しく闘病を続けていましたが、
とうとう6月10日1:30、ばったりと、おとやんの腕の中に倒れ、虹の橋を渡りました。

長くつらい闘病生活で、最後は目を見開いてなかなか閉じませんでしたが、私が2時間ほど抱っこしている間におだやかになってきました。
最後まで、とてもいいこでした。
我慢強く、いろいろなことに気を使い、がんばってがんばって、力尽きました。
ゾフィは私たちにとって、自慢の子でした。
やさしく、男気があり、正義感と勇気のある子でした。
もうこんな子に巡り合えることはないでしょう。
犬の腎臓がんはとても珍しいそうで、情報が乏しく苦労しましたので、
これから、闘病について、少しずつ書いていこうかと思います。
きゃらは、幸い、何度か命の危機がありましたが、今は、投薬もなく、元気にしています。
日々の様子は、インスタグラムで綴っています。
@charasophy で検索していただけると出てきます。